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吟詠と音楽

吟詠の伴奏曲について その1

 
絶対音楽と表題音楽
器楽音楽は大きくは、バッハの器楽曲のように音楽美のみを表現しようとするものと、19世紀ヨーロッパのロマン派音楽のように音楽以外の要素(物語や人間的な内面など)を盛り込もうとするものとに分けられ、前者は絶対音楽、後者は表題音楽と呼ばれたりします。音楽の起こりは歌ですから、時代的には表現音楽が先に在り、そこから絶対音楽が生まれたと理解すべきで、器楽音楽が成立して以降は、表題音楽と絶対音楽は互いに影響し合いながら発展してきましたので、多かれ少なかれ音楽はどちらの要素も含んでいるといえるでしょう。
歌と音楽
音楽の始まりである歌は、半分は完璧に文学的要素を占めますので、明らかに表題音楽なのですが、器楽音楽に対する声楽音楽として分類されることが多いようです。

たとえば「赤とんぼ」のメロディーを聴くと

この歌を知っているなら「ゆうやけこやけの あかとんぼ」という歌詞が自ずと浮かんでくるでしょうし、また夕焼けの情景も連想するでしょう。 逆にこの詩を聞くとメロディーが浮かんでくるでしょう。それは私たちが「赤とんぼ」のメロディーと歌詞を一体のものとして記憶しているからです。
本来、旋律そのものは意味を持たない音高の並びなのですが、歌詞と一体化させることによって、歌詞と同じ意味をもつ旋律として記憶されるのだと思います。
歌曲を作曲する者は歌詞に似あったメロディーと伴奏を創作しようと心がけるのですが、単に歌詞に似合うだけではなく、音楽的に個性的・個別的な美を持つものにしようと努めます。この点において歌曲は表題音楽的でありつつ、絶対音楽的な要素も含んでいるといえるわけですが、歌詞と音楽の雰囲気が非常にしっくりと一致し且つ歌詞も曲も個性的美を有するなら、その歌詞と曲は相乗効果的に存在感を高め合って一体化し、多くの人々に共感され記憶される歌曲になるのです。これが器楽音楽にはない声楽音楽の特質といえます。
 吟詠と音楽
では次のメロディーはどうでしょうか。

これは代表的な吟詠旋律の頭の部分ですが、吟詠を実践されている人々全員が等しく、この旋律から特定の漢詩を連想する・・・ということはないでしょう。
その理由は、この旋律は様々な漢詩の吟じはじめに使われているからです。つまりこの旋律は「赤とんぼ」の旋律のように何かの詩の為に作られた旋律ではなく、いわば詩とは関係なく存在している絶対的なメロディーであると理解できます。
したがって、吟詠においては歌曲のような詩と旋律の一体的・相乗効果的な高め合いはあまり期待できないと言わねばなりません。

では吟詠はどのようにして一曲毎の吟詠を個別に存在感のある音楽として聴かせることができるのでしょうか。
次の二種類の演奏を聴き比べてください。
旋律 A   
旋律 B   
旋律Aは静的で情緒的な雰囲気、旋律Bは動的でやや躍動感のある雰囲気がすると思います。
上級者になれば、吟じる詩に応じて自ずと吟じ方が異なってくるでしょう。吟詠で言われる「詩心表現」のことです。
吟声は尺八とは違い言葉を持ちますので詩心表現はもっと具体的に為し得ると思われ勝ちですが、現実にはそう容易いことではないでしょう。なぜなら詩心表現も音楽的個性と美を有する吟声でなければならないからです。
 吟詠と伴奏曲
次の二種類の吟詠伴奏を聴き比べてください。
 伴奏@   
伴奏A   
伴奏@はゆったりとした雰囲気、伴奏Aはやや急速な雰囲気がすると思います。

では、旋律Aと伴奏@旋律Bと伴奏Aを組み合わせてみます。
 旋律Aと伴奏@  
 旋律Bと伴奏A  
旋律の奏で方と伴奏の雰囲気が合うと、曲全体の雰囲気が一層強調されるのが分かると思います。
同じ旋律でも演奏のしかたに合った伴奏をつけることで音楽全体の表現が増すことを理解していただけたと思いますが、ここで実験的な試みをしてみます。
旋律演奏Aと伴奏A、旋律演奏Bと伴奏@の組み合わせなら、音楽全体はどのように聴こえるでしょうか。
旋律A伴奏A   
旋律B伴奏@   
旋律演奏A+伴奏Aは、伴奏に対して尺八がなぜそういう演奏をしているのか理由が分からない感じがするでしょう。
旋律演奏B+伴奏@は、伴奏だけがやたら力んでいる感じがするでしょう。
伴奏付で吟じる場合、吟じ方と伴奏の雰囲気・意志が一致した時には音楽的的効果は増しますが、不一致の時にはバラバラな感じなど逆効果を生むこともあるという簡単な実験でした。