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手記

 
  かけ離れたジャンルに学ぶ
  (財)日本吟剣詩舞振興会近畿地区の主催による吟剣詩舞指導者研修会に講師としてお招きいただきました。
話すことは本当ど素人でして、緊張のしまくりでした。
おまけに当日ちょっと風気味で薬を飲んでいったものですから、喉が乾いて乾いて、格好悪かったけれど、背に腹はかえられぬと、檀上でペットボトルをほどんど飲んでしまいました。
どうも、それがうけたようで、「あれはギャグだったのでしょう?」などと茶化されたり、ある人からは「小野さん糖尿と違う?」などとご心配いただいたり・・・お騒がせしました。

話がどんどん違う方へ行ってしまいそうなので戻しますが、
講演の中で「他ジャンルに学ぶことの重要性」と、「私の学びの実践法」などを、曲を流しながらお話させていただいたのですが、時間的なことや、話術の未熟さから思いの半分くらいしかお話できず、講演の難しさを痛感しました。

吟剣詩舞に限らず、どんなジャンルにも言えると思うのですが、そのジャンルの中だけで学べることには限界があると思います。
西洋のクラシック音楽も、日本の歌舞伎も、多くのジャンルから多くを学びとって成長しました。
学ぶ基本は、やはり興味を持つことでしょう。興味のない学習が身に付かないことは学校の勉強で嫌というほど体験しています。
日本の伝統芸能を習う人の特徴・・・と指摘されることがありますが、たとえば能楽を学ぶものは能楽にしか興味を示さない・・・そういう傾向が昔からあるようです。
邦楽器でも、筝、尺八、三味線・・・皆記譜法が異なります。
このように他の分野に興味を示さない、自分は自分・・・そういう閉鎖的な感覚が日本の伝統音楽の総体的発展を遅らせたと言われます。

現代の日本では、周りにはありとあらゆる芸能が溢れています。
おそらく、誰もが映画や芝居を観に行ったり、コンサートやディナーショーに出かけたり、TV・CD・DVDなどで好きな番組や歌や音楽を楽しむ・・・そういう生活をしていると思います。
ただ、そういうものを、それぞれ別個のものと捉えないことが大切かと思います。
吟剣詩舞に無関係な芸能など存在しないはずです。
どこかで繋がっているものです。
自分たちの分野とは無縁のように感じられる分野にも、その根っこの部分で思いの外深い繋がりがある場合があります。

他から学ぶ際、自分たちと似たジャンルからよりも、むしろ自分たちとはかけ離れていると思うようなジャンルからの方が役に立つことを学びやすい・・・「学びの方法論のひとつ」として言えるような気がします。
同質のジャンル・・・たとえば吟詠の発声に関してなら、民謡、邦楽、謡曲、琵琶、浪花節、歌謡曲・・・そういう近しいジャンルよりも、むしろ声楽とか、ポップスなど、縁の遠そうな分野を研究する方が確かな収穫が得られる場合があります。
もちろん同質の音楽を比較研究することで、民族音楽のルーツを探ることなども学問的には興味深いことですが、実践の立場では、似通っている為に、ともすれば自分野の特性を見失ってしまうことも起こり得ます。

一見無縁と思えるジャンルへお邪魔すると、そこで以外な共通点を発見できたり、あるいは明確な相違点を見出せたりします。
共通点からは歌や音楽や舞の本質(もっとも基本的なこと)に改めて気付くことがありますし、相違点からは自分たちの独自性を再認識することができるのです。
外国を旅し、異文化に触れ理解することで、人間の普遍性を知り、同時に、客観的な感覚で自分の国を知ることができる・・・他分野への旅も同じだと思うのです。