歌声と語音と音楽
  非凡な歌声と平凡な歌声
  訓練に潜む危険
喉頭と声帯のしくみ
  声帯の協力筋
  喉頭懸垂筋
  練習上の注意点
発声器官のリハビリ 
虚脱したファルセット
声を当てる練習について
支えのあるファルセット
音高のコントロール
頭声によるリハビリ
胸声のトレーニング
  胸声の上限
歌う呼吸について
  声種について
練習のまとめ
A 虚脱したファルセット練習
B 支えのあるファルセット練習
C 声の融合練習
訓練に潜む危険
歌を習いはじめて、かなり順調に上達した人は、自ずと発声に対する興味が深まり、更なる上達を目指して本格的な発声訓練に励むようになるでしょう。この段階に潜んでいる大きな危険について、フースラーは次のように述べています。


『そういう生徒は、大抵習いはじめる以前から発声器官は不完全ながらもかなり健康な状態であって、恵まれた自分の発声器官を無意識に操作する歌心によって歌い、上達したのである。・・・発声を更に磨く訓練においては、まず欠点を改善することから行われるであろう。しかし、やり方を間違えて、その段階まで上達させ得たもの、つまり不完全ながらも本人が無意識に為し得ていた発声の自然な秩序が、人為的な発声訓練によって失わされ、強力な調性による新たな発声器官の秩序に入れ替えられてしまう危険性に気付かないことが多い。
以前には生き生きとした原動力のように、不完全ながらも自然に働いていた発声器官が、決められたやり方に替えられてしまった(あるいは自ら進んで替えてしまった)ことによって完全に自発性を失い、いまやその歌手の中には歌おうとするものは何もなくなっている。』


コーネリウス・L・リードも、その著書「ベル・カント唱法」において、同じようなことを警告しています。その著書は、17・18世紀に隆盛を極めた嘗てのベル・カント(現在のベル・カントではなく)の原理の価値を再認識させてくれる内容なのですが、発声に関して過去様々に展開されてきた研究や指導のほとんどが、発声器官の作用をコントロールさせようとするものであることを指摘しています。


様々なジャンル、とりわけ伝統的なジャンルにおいては、多かれ少なかれ伝統的な発声法・歌唱法が存在していますが、フースラのいう「決められたやり方」とは、ジャンル毎の歌唱法自体を指しているのではないと思います。
たとえば吟詠の発声法は発声器官にとって自然な運動に近いとは言い難いでしょう。吟詠らしく発声するには発声器官をそのように操作できなければならないわけです。しかし、このことが即、吟声に心を失わせることにはならないと思います。
吟詠的発声を訓練する上で、発声器官の自発性を封印してしまうことさえなければ、生命力のない吟声になるという危険は避けられるはずです。


 
参考・引用文献
うたうこと フレデリック・フースラー 著
ベル・カント唱法 コーネリウス・L・リード 著