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歌う呼吸
もし、何らかの呼吸法なるやり方を身に付けてしまっているなら、一端それを忘れて発声のリハビリに取り組むのが良い・・・とフースラーは警告しています。
しばしば「呼吸法が一番大事」というような意味のことが言われますが、むしろ逆であって、喉頭器官の運動が自ずと歌う呼吸を誘発するのです。歌う呼吸がスムーズにいかないのは、呼吸器官ではなく発声器官に問題があると考えるべきなのです。


腹式呼吸のこともいわれますが、発声器官が正常に動けば自ずと腹式呼吸になります。
歌っていて息が足りなくなるのは腹式呼吸のしかたが悪いのではなく、喉頭器官の働きに原因があると考えるべきなのです。吸い込んだ空気が無駄に出てしまわぬように、腹筋を固めて横隔膜が上がらないようにして歌うような訓練をしても何も解決しません。


すぐれた歌手や吟詠家たちは意識下でこのことをよく知っているのですが、生徒に問われると何かしらアドバイスしなければならず、自分たちの体感を伝えたことが「呼吸法」として誤解され残されてきたのではないでしょうか。


歌う呼吸は発声器官の衰弱した諸筋肉をリハビリできれば自然にできるようになる

コーネリウス「ベル・カント唱法」より
『ブレス・コントロールという表現は、声楽教育の専門分野の用語全体の中で、最も頻繁に使われているものですが、一番有害な用語のひとつでもあります。もしも、この表現が、歌唱中の歌手の呼吸の仕方が整然としているという意味ならば、何の問題もないでしょう。しかし、大概、長いフレーズを切り抜けるために、空気の割合をチェックしたり、規制したりすることを示す言葉として使われています。』
歌う発声ができれば呼吸器官は自然に動くといっても、にわかには安心できないかも知れません。
フースラーは、発声器官と呼吸器官の連動運動に関しても細かく解明してくれています。
呼吸器官
肺は自力では動けず、肋間筋や横隔膜の伸縮で胸腔を拡張・収縮させることで空気が出入りします。
呼吸器官は生命維持のため、酸素を取り入れ二酸化炭素を排出する運動を繰り返す器官ですが、肺を動かしている諸筋肉の働き方は、状況に応じて変化します。
たとえば、眠っている時と、歩く時とは同じではありません。激しいスポーツをする時はまた違ってきます。
私たちが今知りたいのは、歌う時にはどう働くのか・・・ということです。
このことに関して、フースラーは次のような解析をしてくれました。
フースラー「うたうこと」より
少し重たい物を腕と胸の筋肉を使って持ち上げる時、自然に腹部・横隔膜・下部肋間筋・下部背筋を収縮させて一緒に使う。同時に食道は閉じられ、胸腔は喉頭の閉鎖機能によって遮断されて、胸腔内の圧力が低く保たれる。こうすることによって、腕や胸の筋肉は独立して自由に働くことができる。声帯が胸腔の閉鎖を行うのはこういう場合である。
実際に自分で試してみると、身体にこのような動きが起こることが分かります。

更にフースラーは『こういう喉頭と呼吸器官下部との自然な連結運動は、本性恵まれた歌手がいわゆる「声の支え」のために行うことと、ほとんどの点で正確に一致している』と述べています。


歌う際、呼吸器官の自然な動きを得るには、声帯伸展筋、閉鎖筋、喉頭懸垂筋、声帯内筋など喉頭器官の諸筋肉が活発に動くことが条件になります。
逆にいえば、喉頭器官の諸筋肉が衰弱していると、歌う呼吸を人為的にコントロールせざるを得なくなるわけです。
横隔膜は自由であるべき
横隔膜は、ドーム状になっていて、息を吐くと緩んで中央が上にあがります。
息を吐き肺の空気が減少すると、横隔膜は自動的に収縮して下がります。
横隔膜が下がると、胸腔内圧が低下して肺に空気が入ってきます。
注射器で空気を吸い込むのと同じ原理です。
歌声を発する際に喉頭器官の諸筋肉が正常に動くと自然に背筋・腹筋・脇腹筋が適度に緊張します
横隔膜の周囲は胸郭の内側に接着しているのですが、もっとも強く接着している部分は背筋側にあり、この部分が自ずと歌う際には横隔幕の運動の支えになります。 
この感触を歌手は「背中で歌う」あるいは「息は背中に入れる」となどと表現することがあります。

歌おうとする際に生じる背筋・腹筋・脇腹筋の緊張は、弾力性を保った適度なものであって、横隔膜の自由な活動を妨げるものではありません。
 歌う時の呼気のメカニズム
歌う時の呼気は、喉頭器官の諸筋肉の呼びかけによって、広背筋や腹斜筋の下から上への緊張によって開始されます。
この下方からの運動によって胸の固さはとれて、胸郭は軽く上昇します。
この時、声門は広く開いた状態です。
ただ、このままであれば、肺の空気は一気に出てしまいます。
しかし、歌う呼吸器官の連動運動は、このことにも自然に対応する動きをみせます。
発声の際、喉頭器官の諸筋肉は、必要な空気量を本能的にリアルタイムで察知し、呼吸器官に命令を下すことを繰り返します。
歌う呼吸では、吐く息の量を調節するのは腹筋や背筋ではなく、喉頭器官の諸筋肉なのです。

フースラーは次のように述べています。
『多くの歌手が歌うときによくやる、横隔膜をつとめて固く収縮させたり、息を圧迫して横隔膜の前部に押しつけ腹壁を固くするなどというやり方はまったくの誤りである。』
この方法をつづけていると、横隔幕・腹筋から弾性が失われ、その弊害がやがて喉頭筋にも及んできます。 
吸気の自動性
吸気については、更に多くを考えない方が良いでしょう。
肺の空気が減少すれば、横隔幕は自動的に収縮するようにできています。
つまり、肺に空気がなくなれば勝手に吸気は起こるわけです。
したがって、吸気には、呼気が上手くできるかどうかが重要なのです。
そして呼気が上手くできるか否かは喉頭器官に備わっている諸筋肉の働きに掛かってくるのです。
喉頭器官の諸筋肉が健康に動くなら、あるフレーズを歌おうとする時、それに必要な空気量を本能的に計算してその量の空気を吸うべく呼吸器官に命令しますので、そのフレーズを歌い切る時には呼気も丁度よく消耗され、横隔膜に自動的な吸気力を促すのです。

参考に、 フースラーが提示する「歌う呼吸に関する最低の原則」のいくつかを紹介しておきます。
機械的・方式的にやらせようとする「呼吸法」はどんなものでもすべて避けたほうがよい。
声を出そうとするとき、空気をいっぱいに吸い込んではいけない。そうしたところで息が長くなるわけでもなく、声が強くも、よくとおるようにもならない。
発声にさいして習慣的に息をたくさん吸い込みすぎ、ためておこうとする人は、遅かれ早かれ呼吸器官を弱め、のども弱くなってしまう。
呼吸器官のはたらきは、歌うさいには、極度に徹底的に強力なものでなければならないけれど、息の使用量は極度に少なくしなければならない。
呼気ならびに呼気の圧力が発声の駆動力であるという古い見解は間違いである。
息を吸おうという意識をもたないこと。正しく呼気をする(発声する)ことを心がけよ。そうすれば、ほぼ確実に自動的に吸気が行える。
よく機能している喉頭は、かなり高い程度まで、呼吸を調節し、訓練するものである。
声を出さない呼吸練習は限定された価値しかないから、それにあまり多くの時間を空費してはならない。
 
参考・引用文献
うたうこと フレデリック・フースラー 著
ベル・カント唱法 コーネリウス・L・リード 著